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「理不尽」の効用について

「理不尽」の効用について

ちょっと理不尽ということについて考える機会があったので、書き留めておこうかと思います。

内容としては理不尽を受け入れることの効用について書いているのですが、誤解がないように前提としておいておきたいのは、むやみやたらと理不尽に耐えろというつもりはないこと。
むしろ理不尽なことは極力なくすべきだし、理不尽な環境を変えることができるのであれば変えた方がよいに決まっています。
理不尽の許容が行き過ぎると先日の電通の事件や、ブラック企業になっていまいますので。
少なくとも自分自身の立ち振る舞いとしては、理不尽なことはするべきではないと思います。
一方で身に降りかかってくる理不尽については、全てを避けることはできるわけではありません。
むしろより積極的に受け入れた場合の効用について経験のなかから考えてみました。


■理不尽を受け入れた場合の効用(メリット)について

①現実を知る
そもそも世の中は道理では動いていないことが圧倒的に多い。
とはいえついつい忘れがちになることも多いので、自分自身のバランス感覚を取り戻すうえではよい機会になることも。
自分自身がコントロールできない「理不尽」について嘆いても仕方ないし、ある程度やむを得ないことも多いので、そういったことが起こるのが現実としてどう向き合っていくかに思考を集中させる。

②精神的に鍛えられる。
感情を制御する能力という意味と、痛みを知ることでの共感能力という意味で、精神的に成熟する機会になります。
大概強烈な理不尽を体感していたら、自分の感情と向き合いコントロールせざるをえなくなります。
その結果それ以下のことはだいたい許容できる気がするし、そもそも人間は体験していないことは想像ができないので、理不尽な経験をしている人に対して共感をすることができるようになる。

③理不尽なことを突きつける人を理解する。
理不尽を感じる時は、自然現象などには感じず、たいていは特定の誰かがいて、人間関係に起因していることが多いように思えます。
理不尽と感じるだけの要求を求めてくる人には、何か「弱さ」の裏返しがあって感情的になっているか、強烈な「価値観」に基づいた何かがあるのか、もしくはとてつもない自分本位な馬鹿な人なのか。
相手のことを本質的に理解するうえではいい機会。(もちろん自分自身がその人に感じている感情が原因の可能性も高いので、そのへんはバイアスを考慮する必要あり)

④時には同情を得たり、味方になってくれる人も
これは理不尽な扱いを受けたときの立ち振る舞いにもよるとは思うけど、周囲に配慮して道理にかなった振る舞いをしていれば、ピンチがチャンスに変わることも多い気がします。


世の中自分一人で生きてるわけもなし、理不尽は生きる上ではつきもの。
この種の悟りって、子供時代から何度も経験をするものだとは思うのですが、らせん状の成長の中で繰り返す気がします。

もちろん理不尽に対する「怒り」が変革や行動を生み出すこともあり、全てを受け入れたほうがいいわけでもないでしょう。
他人に理不尽さを受け入れるように要求する人は、たいてい身勝手な人が多いですし。

積極的に受け入れる理不尽と、徹底的に戦う理不尽を分けて、きちんと判断軸をもっておくことが重要だと思っています。
一時的には逃避という選択肢もありだと思います。もしくは戦う土俵を変えることも。
ただ延々と逃げ続けることは、人生から逃げることと同義に近いので、どこかで受け入れながらより硬軟交えて前に進む(これもある意味変革)か、ある場所では徹底的に戦う道を選ぶかは決断するんでしょう。
判断軸は現実サイドに寄せる人と理想サイドに寄せる人に分かれそうです。志などで統合されていれば素晴らしいですけど。

何事もそうだとは思いますが「正解」はないけど、自分自身の人生を生きるためにも判断軸は持っていたいですね。