名人は僅かな勝算を積み上げる

百田尚樹さんの小説「幻庵」を先日読みました。

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内容としては、江戸後期の囲碁黄金時代の棋士達の群像劇といったところです。
主人公の幻庵因碩は、4つある家元の一つ井上家の当主で、名人の技量がありながら、同時代に名人クラスの打ち手が多く輩出されたために遂に名人になれなかった人でした。
当時の囲碁の様子や名人をめぐる抗争劇について知りたい人は是非読んでみてはいかがでしょうか?

前置きが長くなりましたが、物語の前半で1局の碁の内容を7~8ページ使って描かれていたので、家の棋譜集から引っ張り出してきて、紹介されている対局を並べてみました。
20代の頃に並べて以来なので、本当に久々でした。


本因坊元丈(黒)×安井仙知(白)
この対局は徳川将軍の前で披露された御城碁と呼ばれる公式戦で、本因坊家の跡目元丈のデビュー戦です。
白の安井仙知は、本因坊家と並ぶ名門安井家の当主で、この時代ナンバーワンの打ち手でした。
次の当主も仙知と名乗るため、区別するために大仙知と呼ばれています。

寛政10年ということで1798年の対局のようです。

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棋譜出典:武宮正樹「元丈」日本囲碁体系8 筑摩書房


この対局で自分の目を引いたのが、白の大仙知が打った△の着手です。

地味で何気ない手なんですが、「なるほど、名人とはこういうものなのか!」とえらく得心をしたので、備忘のためにも紹介をしとこうと
※棋書の解説でもここはノータッチ


①非合理に見える手の為、基本思い浮かばない
まずこの手ですが、ある程度以上強い人なら思い浮かびにくい手。
ほとんどの人は直感的に一路下(19-十八)のサガリとよばれる手を選択します。
ガリこそが白の陣地を最大限に確保できて、かつ最もリスクの低い手だからです。
※カタツギは1/3目損。カケツギは容易にはやれないものの放り込まれてコウに負けた場合は1/3目損をするリスクがある。
このあたりはいちいち理屈で考えることはなく、ほぼ感覚的に正しい手を選択するようになるものだと思います。

②この状況にあった合理的な手
この状況は白僅かに劣勢の局面。なおかつ黒の石の形がダメづまりからの追い落としをみて、通常なら得することがまずない1の1の放り込みを打つ意味がある特殊ケースでした。
(※ほとんどこんな場面出現しない)
白も決行するにはハイリスク(不確実性が高いかつ負担はそれなりにある)ため容易には打てないですが、少しでも逆転の可能性を上げるために武器を作ったような感じです。
※この対局では1の1の放り込みは打たれずに、結果としてサガリを打ったのと同じ陣地となりました。

 

囲碁というゲームは基本的に正解がわからないゲームの為、積み上げてきた感覚・経験からある程度正しい可能性の高い手を選択するゲームです。
その意味ではこの手は一見すると、当たり前の感覚を疑っている手のようにも見えるのです。
一方で打たれてみると合理的。


これがこの1局を左右する集中すべき局面なら、そういう良い手が出てもそれほど驚かなかったと思いますが、いかにも自動的に打ててしまえそうな場所で、しかも仮に得したとしてもミクロの得しかしないところでこういった手を打っているのが、いかにも神経が通っている感じがするのです。
(※期待値の算出が非常に難しいですが1目にも満たないような感じ)

例えるのが難しいですが、誰も観ていないようなところでとても丁寧な仕事をしているような感じです。
名人とは本当にわずかな勝算を一つ一つ丁寧に積み上げていって、勝ちをものにしているんだなと実感した次第。

200年以上前の人の思考が伝わってくるというのは、古典の魅力の一つかもしれません。

 

いつも以上にマニアックなエントリーを最後まで読んでいただいた方に感謝申し上げます。