男性に育児休業が必要なわけ

小泉進次郎議員が育休をとるとらないで話題になっていましたが、当時自分もはじめての子供が生まれるにあたって4か月の育休をとっていました。
男性の育休取得率は6.2%(2018年)、7.48%(2019年)と過去から比べると伸びてはいても、きわめて低い水準にとどまっていて、問題視されています。

一方で男性が育休を取る理由やその切実さなどは伝わっていないと思ったので、久々にブログに書いてみました。

長文にはなりますがお付き合いいただけると幸いです。

 

◆育休の取得が奨励されるのは、社会構造の変化が前提
そもそも今育休取得が奨励されているのは下記のような社会構造の変化が前提にあると思います。

・共働きが前提の時代‐女性が家庭内にこもるのではなく、家計を支える働き手になる時代
所得の中央値は1993年をピークに減少傾向にあり、一方一人当たり教育費は増加の傾向にあり、共働きでないと家計が成り立たなくなる時代に突入している

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家庭構成と保育環境変化

・生産年齢人口の減少で、働き手を増やしたい国の思惑。
そのためにも女性が家庭にこもるのではなく、働き手として出てほしい。
・男女同権の流れ
・加速する少子化を防がなければ、国の存続が危うい。少子化を食い止めるためにも子育て環境は必要。

 


◆子供を授かった男性社員が育休をどうしても必要とする理由

育休は自分にはどうしても必要だと思って取得したわけですが、その理由は主に3つあったように思います。

 

①奥さんの産後危機に対応するため
産後1か月は、出産後の女性は交通事故にあったような体の状態になっていますのでいわば介護が必要な状況です。
里帰り出産ができて、奥さんの実家で面倒をみてもらえるなら解決ですが、我が家の場合は奥さんの実家が山奥で病院も遠いため、これはできませんでした。
男性の認識とサポートが薄いと、ボロボロの奥さんは家事と慣れない子育てが寝不足と緊張の中切れ目なく続いて「産後うつ」になりかねません。
出産後の新生児は大体3時間サイクル(1日8回転)でミルク、おむつ交換、寝かしつけなどが延々と続く上、突然死症候群(SIDS)に目を光らせている必要があります。
その上に料理、洗い物、洗濯、掃除、その他もろもろ家事をこなすのはまず無理としたものでしょう。
(私はやった!というスーパーウーマンは尊敬しますが、それをすべて他者に押し付けることは害悪でしかありません)

 

②奥さんと一緒に「親」になるため
具体的には、親としての子育てに必要なスキルとマインドを身につけるためです。
母親がいなくても子供の面倒がみれるようでないと、共働きは難しいと思っていました。
母親しか育児に参加できず、男親はせいぜいサポーターというのであれば、母親はつぶれてしまいかねません。
そして母親と男親の違いは、母乳による授乳ができるかどうかだけで、母親も出産した時点ではスキル0スタートなので、そこからどれだけ育児スキルやマインドが身につくかは本人の行動次第になります。
最低限おむつ交換、ミルク、沐浴、抱っこしてあやすくらいはできたほうが良いし、それだけできれば大体初期対応できます。
できるようになるためにはやはり経験が必要で、多分子育てにも「マタイ効果」(※富める者は富み、貧しいものはどんどん貧しくなる効果、できる人はどんどんできるようになり、できない人はどんどんできなくなる効果)というものは働いていて、子育てできない人はますます子育てできなくなっていくので、スタートダッシュが肝要だと思います。
何より男性も胸をはって、子育てをしました!といえるほうが気持ちいいですし、家族という長期的な関係で信頼を育んでいくには必要なことかなと思います。

 

③保育園に入れるため
共働きをするうえで最低条件は、子供を保育園に預けられるかどうか、です。(もしくは親など子供を預けられる環境があるか)
保育園に預けようと思った場合、どうしても定員問題にぶつかります。
保育園に入れる最大のチャンスは0歳児枠で、どうしてもそのあとに入れようとするとものすごい狭い枠を大勢の保護者と争わなくてはいけません。
なぜかというとそれぞれ成長に従ってスライドしていくので、1歳児だとまず0歳児から進級した子供が定員をある程度埋めて、その残りが開放されることになるからです。
保育園に入れるためには、自治体が設定する基準の点数を多く取る必要があります。(得点の多い人から優先的に入れる仕組み)
そして育休をとった場合は、私のいる自治体は1点加わる形なっていて、妻は育休がとれる状況ではなかった(外国の大使館勤務の為日本の法制度に守られていなかった)ので私が育休をとってようやく他の方と同じ土俵に立てる状況でした。

 

これら①~③の理由は私の個別の理由ではあるものの、育休をとる男性にはある程度共通するのではないかと思っています。

どれも共働きを実現しようと思ったときには避けて通れない課題でした。特に①は命に係わる問題の為、深刻です。

(仕事を休みたい、家庭のことはやらないという人は論外です)


◆育休をとることの不安
とはいっても育休をためらう男性はいるかと思います。
育休をとることで、男性は少なからぬ不安を味わうのではないかと思います。
すくなくとも自分は感じました。
休んで仕事や収入は大丈夫か?
キャリアに影響があるのではないか?という類のものです。
日本の会社は同調圧力が強い傾向にあるためピアプレッシャーも強く、職場に休んで迷惑をかけるのが申し訳ないという気持ちも募ります。
これって女性が子供を持つうえで抱く気持ちではないかと思うので、女性の立場になる良い機会だと思います。
自分の場合は取らざるを得ない状況だったので、育休の希望が通らないことになれば、最終的には仕事は辞める覚悟を決めていました。
幸いなことに辞める必要はなく、職場のご協力をいただいて育休を取得しました。感謝にたえません。

収入についても育児休業給付金があるため、それほど心配する必要はありませんでした。


◆企業も課題解決が必要
男性育休については企業としてそこまで対応する必要あるの?そんな余裕はないよ!という意見もあるかもしれません。
しかし企業は働き手が少なくなってきている中で人材獲得競争をしていかなければならない時代になってきました。
経営はすべてのステークホルダーを満足させていく(あるいはバランスをとっていく)ことが必要ですが、従業員は重要なステークホルダーです。
育休を取らせることができないということは、余程の高額報酬などがない限り従業員が長期にわたって働く環境を作れない、家庭を持つ環境を作れないといっているに等しいです。
我慢する従業員の満足はさがるでしょうし、育休をどうしても必要とする状況にある人は会社を去ることになるでしょう。
長期の成長の為には、対応しなくてはいけない企業が多いのではないでしょうか。


◆いろんな形があっていい
家庭の形はいろいろなので、里帰り出産ができて産後危機には実家のサポートが得られ、専業主婦が前提でむしろ男性に子育てしてほしくないので外でしっかり稼いできて!というような家庭もあると思います。
あるいは祖父母と同居していて、子供を預けられるといった環境の方もいると思います。
一律で育休が必要だというつもりはありません。
しかしながら社会構造の変化で、上記で述べたようにこれまで以上に男性に育休が必要になっているのは間違いないと思います。

 

◆望ましいのは安心して子育てができる社会
子供を安心して産み育てられない社会というのは不健全だと思います。
子供を授かって思うのは、社会は子供を許容してくれているということです。
児童手当や乳幼児への医療助成など、子供が生まれるまで知らなかったけどとてもありがたい制度もあります。
子供を連れていると、声掛けをしてくれる人も多いです。
是非男性育休も取得と理解が進み、より子供が育てやすい社会になることを祈ってやみません。

 

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ビジネスマンが中国古典を読むなら「管子」がおすすめ  

一年ちょっと前に母校のビジネススクールにて「論語」をテーマに集まったセミナーに参加しました。
そこでふと思ったのですが、大体ビジネスマンに向けて出ている古典といえば、
論語
孫子
韓非子
老子荘子
あたりじゃないかなと思うのですが、古代最高の経営者である管仲が書いた(の言葉が編纂された)「管子」って中々出てこないなぁと。

書物として、そんなメジャーじゃないからだと思うのですが、実はとても内容が良く、なおかつ一番ビジネス書に近いと思っているので、ご紹介をさせていただきたいと思います。
といっても私も菅子を初めて読んだのが2015年だったのですが、その時に大変感銘を受けました。

相変わらずマニアックなブログですが、少しだけおつきあいください。


■そもそも中国古典の思想とは?

中国の思想の基盤は、紀元前500年~紀元前200年の春秋戦国時代諸子百家と呼ばれる多士多彩な人々の思想がベースになっているかと思います。
もちろん後の時代にも古典的な名著、例えば「貞観政要」、「菜根譚」などあるかと思いますが、ベースはやっぱり諸子百家の時代だと思います。

代表的な思想家と、どのようなことを主張していたのかは下記にまとめました。

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中国の思想の2X2マッピング

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諸子百家時代の代表的思想家一覧


 

■なぜ中国古典を読むの?

これはあくまで個人的な意見ですが
一言でいえば、変わらない「人間観」を養う為
ではないかと思っています。
現在はVUCAの時代と言われていて、不確実性が高く予測がしずらいと言われていますが、予測しづらい時代だからこそ実は「変わらない」ものに対する洞察が重要になってくるのではないかと思うのです。
古典とは時代を越えて読み継がれているもので、そこに「変わらない」ものが担保されていると思います。

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変化の時代の着眼するところ


■管子とは何?

管仲という人は、「史記」の列伝の主人公にもなっていて、諸葛亮(孔明)が模範として尊敬していた人だと知られている人です。
斉という国を、宰相として手腕を振るって豊かにして、周王朝の元で主君である桓公を覇者にして(※日本でいう征夷大将軍のようなもの)諸侯を統率して異民族の侵略を防ぎ平和をもたらしました。(このことを尊王攘夷といいます)
管仲は、現代でいうところのプロ経営者みたいなもので、オーナーである斉王室から経営を委託されて、大きな実績をあげました。

元々は斉の桓公とは敵対派閥に与していた管仲は、度量は広いものの我儘な君主のボスマネジメントに苦労していました。

 

「管子」は管仲による言行録に、多少春秋戦国時代管仲の名を借りて、付け加えがされていると思われる作品です。
多くの思想家から批判を浴びる作品だけど、個人的には最もバランスがとれていて、現実を直視しながら物事を成し遂げてきた人だけが語れる言葉の数々がとても印象的でした。

特に管仲の人間洞察の鋭さと、そしてその裏側にある人に対する「やさしさ」、幻想に逃げないリアリズムには脱帽です。

管仲の思想の一部は、商鞅など法家の思想に引き継がれ、やがて秦による初めての中華帝国の成立につながったといわれています。
(キングダムの世界!)

有名な言葉は下記のようなものでしょうか。
「倉廩(そうりん)満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱(えいじょく)を知る。」
食料が豊かになって初めて人は人に気遣いができるようになり、生活に余裕ができて外聞や恥などを気にするようになる。

「君、君たらざれば、臣、臣足らず」
君主の責務を果たさずに、部下から報われようと思っても、それは不可能だ。

「ゆえに与うるの取りたるを知るは、政の宝なり」
(※税など)取ろうとするならまずは与えなさい。これこそ政治の秘訣です。

「一年の計は穀を植えるのしくはなく、十年の計は木を植えるにしくはなく、終身の計は人を植えるにしくはなし」
一年で収穫を得たいなら穀物を植えることだ。10年先を考えるなら樹木を植えることだ。終身の計をたてるなら人を育てることだ。


個人的には「史記」や管仲が出てくる小説や伝記などではわからなかった管仲像が、「管子」を読むことでよくわかったのがとてもよかったです。
「管子」には思想だけでなく、実際に管仲がどのような行動を行ったのかがいくつか紹介されているのですが、経済と人間のことをよくわかっている人だと感じるエピソードが多かったです。

 

■気になる講座

以前受けたセミナーは、今度卒業生向けに開講されるみたい。

「管子」は残念ながら入っていないようです。。。

哲学がテーマなら、たしかに「論語」かな。

渋沢栄一の事例もあるし。

www.globis.co.jp

 

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囲碁人口減少の構造を理解しよう③(結論)

この話も長くなりましたが、この辺で結論を述べます。

①で明らかにしたのは、囲碁人口減少の主要因は、1950、60年代生まれ以降の世代が囲碁をしなくなっていること。

②でみていただいたのは、囲碁棋戦のビジネスモデルによって、主に新聞を通じて囲碁は社会に認知されているということです。

 

では何故1950、60年代以降の世代が囲碁の参加率が落ちるのか?

それは社会の中で新聞の影響力が低下したこと、そして新しいメディア向けの囲碁のコンテンツがだせなかったこと、がその理由だろうと思っています。

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考えてみると囲碁と新聞は奇跡的なぐらい相性の良いコンテンツなのです。

限られた枠(スペース)で動かない視覚情報のみで何かを伝えようとする場合、棋譜というのは極めて効率のよいコンテンツです。

数字を目で追っていけば、ある程度の熟練者であれば何が起きているかを理解ができます。

一方、音や視覚でも動きが重要となってくると、今までの囲碁の対局は地味すぎます。

何分、へたしたら1時間以上動きがほとんどない対局者の姿をじっとみるなど、コンテンツとして成立しづらいにもほどがあります。

(※対局の中身も理解するには、難易度の高いハードルあります)

 

下記はPEST分析といって、社会の動きを構造化したものですが、1950~1960年代というのは、ラジオ、テレビといった新しいメディアが普及していく時代でもあります。

新聞の影響度が自然と代替メディアの登場によって、薄くなるにしたがって囲碁の認知度も落ちていったと考えるのが妥当ではないかと思います。

1990年ぐらいまでは経済的に活況の時代でもありましたし、まだ囲碁をやっている人の母数はそこまで減ってはいませんでしたが、時代を経てプレーヤーの多数が高齢化、および不況により棋戦スポンサーの存続が危惧されるようになって、問題が顕在化してきているのが今ということになるかと思います。

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世界戦で日本が勝てなくなったから、囲碁ファンも減ったみたいな論調を聞いたことがあるのですが、それは因果関係を多少取り違えているかと思います。

※もちろん勝ってくれた方が盛り上がりますし、メディアに取り上げていただく可能性も高くなりますが、だからといって根本的な解決になるということではありません。

 

その意味で課題先進国といわれる日本の中でも囲碁の世界は

・高齢化(より厳しい人口構成)

・ライフサイクルの衰退期に入った経済成長の鈍化

・AIの脅威/機会

みたいな課題にさらされていて、一番課題に直面している業界であることも認識しておいた方が良いかと思います。

一方でここで変革ができた場合は日本の成長モデルを示すことにもつながりますし、

厳しい現状ですが構造を理解することが打ち手を模索する上での第一歩かなとも思います。

※ある程度何をすべきかは自ずと明らかになるかと

 

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過去エントリー①

umeyan.hatenablog.com

過去エントリー②

umeyan.hatenablog.com

囲碁人口減少の構造を理解しよう②(棋戦スポンサー編)

前回のブログでは、囲碁人口減少の主要因は、1950、1960年代以降生まれた人が囲碁を打たなくなったから(参加しなくなった)と、統計から導きました。


ではなぜそのようなことが起きたのかということですが、そこを理解する前に、その問題にかかわる囲碁のプロ棋士(専門棋士)が対局するスポンサーについても理解をいただこうと思います。(※ちょっと関わっているテーマでもありますので)

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よく囲碁の人ってどうやってごはん食べているの?という疑問をうけますが、専門棋士、および運営団体に関しては、スポンサーが提供する資金から対局料やその運営費が捻出されることになります。

過去は政府(江戸時代の幕府)や財閥が支援をしていましたが、今はそういう時代ではなく、マスメディアのマーケティングの一環として位置づけをされていることとなります。

囲碁の棋戦の流れを分解したものが、下記。

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こうしてみると、囲碁棋戦というのは(例外はあるものの)基本的に新聞社の付随したビジネスになっていることがわかります。

新聞社は棋譜というコンテンツをスポンサー費を払って購入して、ある意味世に囲碁を広めてくれている役割を担っていることとなります。

ここの基本構造の理解重要です。

 

なんとなくみえている方も多いと思いますが、囲碁人口減少の結論は次回にお伝えします。
※もうすこしだけおつきあいください。

 

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過去ログ

umeyan.hatenablog.com

 

続き

umeyan.hatenablog.com

囲碁人口減少の構造を理解しよう①

昔、囲碁人口減少について書いたことがあるのですが、あらためてちゃんと書いておこうと思います。

あまりファクトをベースに構造的捉えている話がない為、自分の解を提示しておこうと思います。

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昔ブログのエントリーでも書きましたが、囲碁人口は計算上年率ー4%で減少しています。数字のベースはおなじみ「レジャー白書」ですが、国会図書館で全ての過去の統計を調べて、数字は出しました。

ただこの人口全体の数字をみても、実態を把握することは困難です。

囲碁人口=日本人口×囲碁の参加率の掛け合わせとなりますが、日本人口減少を考えても仕方ありませんので、本質は囲碁の参加率が何故低下しているのか?ということを考えるべきです。

囲碁の参加率を考えたときに、もう少し考えを深めていきましょう。

いきなり「なぜ囲碁の参加率は低下しているのか?」という問題を考える前に、そもそも「誰が囲碁に参加しているのか?」ということを考えてみます。

過去の世代と男女にわけた参加率を細かくみていくと、その答えが出てきます。

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現在でいうところの70代以上の男性が圧倒的に参加率としては多く、それ以降の世代では参加率はあまり変わらない(男性の場合)ということがわかります。
なお女性の場合は基本2%いくかいかないかということで、そもそも基本的に少ないのは過去も今も変わりません。

ここでの結論は、1950年代、60年代以降の世代に囲碁が普及できなかったから、囲碁人口は減少している、ということになります。

 

ではまたもう一歩思考を深めていきます。

なぜ上記の世代以降の人に囲碁が普及できなかったのでしょうか?

日本棋院が頑張らなかったからとかいう人も出てきそうなんですが、おそらく過去も今も同じような努力はなされていると思いますし、棋士の方々も一生懸命に打たれているのは変わりはないでしょう。(できることはまだあるはずだ論議はおいておいて)

その理由は長くなってきたので、別途続きを書きます。

 

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続き

umeyan.hatenablog.com

続きその2

umeyan.hatenablog.com

名人は僅かな勝算を積み上げる

百田尚樹さんの小説「幻庵」を先日読みました。

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内容としては、江戸後期の囲碁黄金時代の棋士達の群像劇といったところです。
主人公の幻庵因碩は、4つある家元の一つ井上家の当主で、名人の技量がありながら、同時代に名人クラスの打ち手が多く輩出されたために遂に名人になれなかった人でした。
当時の囲碁の様子や名人をめぐる抗争劇について知りたい人は是非読んでみてはいかがでしょうか?

前置きが長くなりましたが、物語の前半で1局の碁の内容を7~8ページ使って描かれていたので、家の棋譜集から引っ張り出してきて、紹介されている対局を並べてみました。
20代の頃に並べて以来なので、本当に久々でした。


本因坊元丈(黒)×安井仙知(白)
この対局は徳川将軍の前で披露された御城碁と呼ばれる公式戦で、本因坊家の跡目元丈のデビュー戦です。
白の安井仙知は、本因坊家と並ぶ名門安井家の当主で、この時代ナンバーワンの打ち手でした。
次の当主も仙知と名乗るため、区別するために大仙知と呼ばれています。

寛政10年ということで1798年の対局のようです。

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棋譜出典:武宮正樹「元丈」日本囲碁体系8 筑摩書房


この対局で自分の目を引いたのが、白の大仙知が打った△の着手です。

地味で何気ない手なんですが、「なるほど、名人とはこういうものなのか!」とえらく得心をしたので、備忘のためにも紹介をしとこうと
※棋書の解説でもここはノータッチ


①非合理に見える手の為、基本思い浮かばない
まずこの手ですが、ある程度以上強い人なら思い浮かびにくい手。
ほとんどの人は直感的に一路下(19-十八)のサガリとよばれる手を選択します。
ガリこそが白の陣地を最大限に確保できて、かつ最もリスクの低い手だからです。
※カタツギは1/3目損。カケツギは容易にはやれないものの放り込まれてコウに負けた場合は1/3目損をするリスクがある。
このあたりはいちいち理屈で考えることはなく、ほぼ感覚的に正しい手を選択するようになるものだと思います。

②この状況にあった合理的な手
この状況は白僅かに劣勢の局面。なおかつ黒の石の形がダメづまりからの追い落としをみて、通常なら得することがまずない1の1の放り込みを打つ意味がある特殊ケースでした。
(※ほとんどこんな場面出現しない)
白も決行するにはハイリスク(不確実性が高いかつ負担はそれなりにある)ため容易には打てないですが、少しでも逆転の可能性を上げるために武器を作ったような感じです。
※この対局では1の1の放り込みは打たれずに、結果としてサガリを打ったのと同じ陣地となりました。

 

囲碁というゲームは基本的に正解がわからないゲームの為、積み上げてきた感覚・経験からある程度正しい可能性の高い手を選択するゲームです。
その意味ではこの手は一見すると、当たり前の感覚を疑っている手のようにも見えるのです。
一方で打たれてみると合理的。


これがこの1局を左右する集中すべき局面なら、そういう良い手が出てもそれほど驚かなかったと思いますが、いかにも自動的に打ててしまえそうな場所で、しかも仮に得したとしてもミクロの得しかしないところでこういった手を打っているのが、いかにも神経が通っている感じがするのです。
(※期待値の算出が非常に難しいですが1目にも満たないような感じ)

例えるのが難しいですが、誰も観ていないようなところでとても丁寧な仕事をしているような感じです。
名人とは本当にわずかな勝算を一つ一つ丁寧に積み上げていって、勝ちをものにしているんだなと実感した次第。

200年以上前の人の思考が伝わってくるというのは、古典の魅力の一つかもしれません。

 

いつも以上にマニアックなエントリーを最後まで読んでいただいた方に感謝申し上げます。

人のつながりの理論

人は独りでは、生きられない。

機動戦士ガンダムのラストシーンで、上記の歌詞が流れる中で、主人公アムロは「僕にはまだ帰れるところがあるんだ。こんなにうれしい事はない」と語って、仲間たちのとこにたどり着きます。

【機動戦士ガンダム 名台詞集】アムロ・レイ「こんなにうれしい事はない」 | ガンダムグッズ!おもしろい!

 

なんとなく僕らはその通りだと深く共感をして、人は社会的な生き物だから、と納得をしているのですが、実際のところ人のつながりが具体的に人にどのような影響を与えているのか、なぜ人はつながろうとするのか、よくわかっていないことが多いと思います。
そんな疑問に答えてくれる本を紹介したいと思います。

ncase.me

上記サイトで人のつながりのガイドを受けて、原著となるニコラス・A・クリスタキス(ハーヴァードの医学博士)の「つながり 社会的ネットワークの驚くべき力」を読みました。

http://amzn.asia/aFiJcmQ

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とにかく深い!

めちゃくちゃ示唆に富んだ内容ばかりでした。

一見してみると当たり前のことを話しているようなので、速読するとなんだつまらない本だなと思うかもしれません。

本に書かれていることは、当たり前の結論も多いけど、多くの事例や実験によって検証されたものばかり。人を深く理解したい方には必読の本だと思えます。

自分の中では、ずっと自分の中にもっていた色んな疑問のミッシング・ピースを埋めてくれた本になりました。(別の意味でつながりまくりました)

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このネットワークの構造によって理解がもたらされるものは幅広いです。

人の「幸せ」とか「健康」とか「お金」の問題も深く結びついています。

政治(誰が当選するのか、投票行動にはどのような動きが伝わるのか)や、経済もそう(バブルや人は感情で動く時にどう連鎖反応がおきるのか)

経営学だとリーダーシップ論で人はどのような動きに心が動き一緒に行動するのか、マーケティングだとどのように口コミを広げていくのか、など、多くの分野とこのネットワーク論を掛け合わせると、理解がとても深まると思いました。

※先日読んだ「ティール組織」も、この本を読んだ知識と掛け合わせると本質が理解できた気がしました。

山本七平の「空気の研究」などは、この本と掛け合わせるとすごく良いなと思います。古典的名著でも空気を日本人の社会論に落としてしまっていますが、そうではなく人の伝染のメカニズムをきちんと把握することが大切だなと思う次第。

本についている帯には「肥満も、性感染症も、笑いも、全て伝染する」とありますが、本当にこの人のつながりがどのように社会を動かしているのかを、深く理解できれば、もっと良い世の中にできるのではないかという想いになりました。

 

おそらく2018年に読んだ本の中で最も衝撃を受けた本になる気がします。

語りたいことがケチャップのようにどばどば出て終わらなくなりそうなので、この辺にて

マニアックなエントリーを最後まで読んでいただいた方に感謝申し上げます。